2009年8月20日木曜日

競馬予想 無料 中山大障害 歴史

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1934年秋 - 「大障碍特別競走」の名称で別定戦として創設。出走馬4頭中3頭が完走した。

1935年 - この年より年2回施行される(1947年と1956年を除く)。
同年春にレース名が「中山大障碍」に改められて以降度重なる改称を行う。

1948年秋 - 競走名が再度「中山大障碍」に変更され、その後漢字表記の変更を経て現在に至る。

1953年春 - NHKによってテレビ中継され、日本初の競馬のテレビ中継となった。

1951年春 - 過去の優勝馬が出走可能となる。優勝馬の斤量は2kg増。

1957年 - 秋の競走に限り4歳馬(現3歳馬)の出走が可能となる。

1966年春 - 中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。

1969年春 - 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む

抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。

1971年秋 - 馬インフルエンザ蔓延の影響で開催中止。

1972年春 - 中山大障害優勝馬は2kg増。及び収得賞金による斤量規定が廃止される。

1972年春 - 出走馬ダテハクタカがパドック周回中に何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷し、
競走除外となる事件が起こった(ダテハクタカ事件)。

1976年春 - 再び中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。

競馬予想 無料 中山大障害 その他のエピソード

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・阿部幸太郎が『中央競馬ワイド中継』のレギュラー時代、中山大障害コース4100mを自分の足で走ってさらには障害は乗り越えて完走するという無謀な特集VTRが制作された。後に競馬開催が台風・降雪等で中止となった際に穴埋めとして放映されるなど、一部マニアの間では伝説になっている。


・石森かずえも出走したが完走しているかは定かではない。


・有馬記念などの大レース開催日に大障害コースの一部を観客席として開放するケースや、ファンサービスの一環として実際に大障害コースの一部に入れる機会を設けるケースもある。

競馬予想 無料 中山大障害 競走中のエピソード

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1957年春の競走で、カツプスターに騎乗した本田昌雄騎手は大土塁(現大生垣)飛越着地の際に落馬したが直ちに再騎乗を行い鐙を踏まずに大生垣(廃止)を飛越して完走(出走馬8頭・8着)したため、裁決委員からその敢闘ぶりを表彰された。

1960年春の競走でガーナードに騎乗した加賀武見騎手は落馬後再騎乗の際に他人の助けを借り、また競走に要した時間が規定時間を越えたため(参考タイム9:31.2)タイムオーバーでガーナードは失格、加賀武見は戒告を受けた。


1984年春の競走では中山大障害2勝のキングスポイントが水壕障害の着地に失敗し、後肢を骨折。続く2号土塁障害を越えた所で競走中止、予後不良となった。